櫛野農園 farm letter vol.51
こだわりの無農薬栽培が生む、香り高く風味豊かなゆず加工品
ゆずは他の柑橘類と違い、温暖な海岸地帯よりも寒暖差が大きい内陸の山間部に産地が多い。大分県宇佐市院内町では町長らの要請で日本初のゆずの産地化が始まり、櫛野正治さんたちゆず農家の地道な努力が実を結び、「柚子といえば院内」といわれるほどの西日本有数の産地を誕生させた。
ゆずの収穫期は9月から12月ごろまでで、はじめの頃の香り高い青ゆずは、ゆずこしょうなどの薬味用に使われる。最初にゆずこしょうが作られたのは大分県だ。「こしょう」とは唐辛子のことで、九州の一部の地域の方言だという。11月から12月に黄色に熟すと果汁が多くとれるようになり、果皮はマーマレードや色鮮やかな乾燥パウダーとして使用される。
栽培からスタートした櫛野農園はゆずの加工も手がけ、2004年に大分県エコファーマー認定を受けた。料理人として修行を積んでいた息子の光正さんが2代目社長に就任し、お客様ニーズに応える商品を自社工場で多数開発、宇佐市の食材を使って定期的に提供される学校の「ふるさと給食」にも櫛野農園の「ゆずティー」や「ゆず蜜」が採用されている。
2代目社長の櫛野光正さん(左)と同級生の中尾一光さん。中尾さんは農作業を全面的に任されている、ゆずの栽培責任者。収穫を手伝う福祉施設や年配の方々をまとめあげる頼もしい存在
世代や国を超えて、院内のゆずを広めたい
【櫛野農園 櫛野光正さん】
料理人から、ゆず加工品の製造へ
1974年に大分県が一村一品運動を始めた流れで宇佐市の院内町も特産品を作ろうと父に声がかかり、鍵山団地に千本の苗木を植えたのがゆず栽培の始まりです。 最初は青果として市場に下ろしていましたが、生産量が増えてくると値崩れが始まり、価格が安定しなくなりました。加工品にして販売しようと、1991年からゆずの加工を始めました。
父の祖母が作っていたゆずごしょうをベースに商品化し、1993年に九州沖縄物産展に参加した際にバイヤーの目に留まり、翌年には東京で全国物産展に出展、院内のゆずごしょうを認知していただいたそうです。
高校卒業後、調理師学校に1年通って免許を取得し、私が東京の洋食店に勤めて3年ぐらい経ったころに父が体調を崩しました。ゆずの加工品が軌道に乗り、売り先が増えてきた矢先のことです。
最後に働いていた飲食店がレストラン部門を閉鎖するのと時期が重なり、家業を手伝おうと故郷に戻ったのが2003年、23歳のときです。加工をメインとする製造について、ゼロから叩き込まれました。
2005年に株式会社櫛野農園に法人化しました。父は胃がんで、2/3ぐらい胃を切除しましたが、どんどん元気になってもう20年が経ち、いまでは会長を務めています。2019年には工場を集約させ、売店も一緒にした加工場で製品化ができるようにしました。
香りを大切に商品開発
戻った当時の商品のラインナップは、ゆずごしょう、ゆず果汁、ゆず七味、乾燥させたゆずの皮を粉末状にしたゆず香です。メインはゆずごしょうで、レシピは全部、会長の頭の中にあったので、文字起こししてレシピとして残すことから始めました。従業員を雇える状況になったときにきちんと教えられるよう、会長が感覚的に作っていた部分の整理を心がけました。 ゆずの練り上げに金属製の機械のミキサーを使用すると、香りや風味が熱で飛んでしまうため、魚を練り合わせる石臼の擂潰機(らいかいき)という機械を導入することによって、熱をかけずにゆずごしょうを作れるようになりました。かなりの手間がかかり、ほかのメーカーさんで、ここまでするところは少ないと思います。
会長が作ったものをブラッシュアップした商品の他、液体タイプの「柚子ごしょうビネガー」や、調味料ではなくそのまま食べられるものとして、別府のザボン漬けを参考に、ゆずのピールを砂糖漬けにしたドライフルーツ「ゆずの雪蜜」などを開発しました。お酒にも合うと、飲食店やバーから引き合いがあります。
取引先やバイヤーさんから「皮を多めにしたゆずごしょう」「唐辛子が多めで辛みが強いもの」などのご要望をいただき、商品開発することも多かったです。大阪や東京の展示会に年に1回は参加して、ヒントをいただきながら、新しいゆず製品を開発していけたらと思います。
安心安全な無農薬栽培に転換
ゆずの圃場の面積は2.5ヘクタール、2つの農園で成木を千本ずつぐらい栽培しています。さらに休耕田を畑に変えて、200本ぐらい幼木を植えています。また、安定的にゆずが収穫できるよう、高齢で引退された生産者の廃園を引き受けて再生し、ゆずの量を確保できるように管理しています。
市場に出荷していたときは見た目が重視されるため、農協指定の方法で農薬を使っていました。だんだん加工の比率が高くなってくると見てくれが悪くても関係ないので、安心安全を重視しようと無農薬に切り替えました。幼木のときは成長を補って虫がつかないように農薬を使いますが、最初のうちだけです。除草剤もかけません。夏場は人力で草刈り作業をするのがかなりきついですね。
昨年は例年の1/3ほどの収穫量で、ずっと取引していただいているお客様の分を切らすわけにいかず、冷や冷やしました。今年は例年以上の量になりそうですが、ゆずが悪くならないうちに収穫し終えなくてはなりません。ゆずの木には鋭いトゲがあり、溶接作業に使う厚手の革手袋、ヘルメット、安全靴を装着し、手作業で収穫するので大変です。
最近はシカやイノシシの獣害が多く、市の補助金で対策用に柵を立て、進入できないようにしている最中です。そろ収穫かなあというときに、猿やアナグマなどの動物に狙われてしまうので頭が痛いですね。
5年後ぐらいに農家レストランを
小さい頃からゆずが身近にあったせいか、正直あまり好きではなかったのですが、一生懸命ゆずを育てて加工する会長や母の姿を見ていると、なくしたくないという気持ちが芽生えました。
かつては西日本一の生産量を誇っていた院内町でも、ゆずを作る方が少なくなっています。自分も子どもができ、子どもたち世代に院内のゆずを知ってもらいたいという思いが強くなりました。
今年は円安で海外からの引き合いも多くいただきました。いま、ゆずごしょうを輸出しているオーストラリア、アメリカ、フランスだけでなく、シンガポール、香港、台湾などのアジア圏にも展開し、海外の方にも院内のゆずを知ってもらいたいと考えています。
ゆずは秋冬の作物ですから、春夏には他の果実を作って、加工もできればいいですね。自分だけの力では限界があるので、家族や従業員に手伝ってもらって取り組みたいものです。
調理師の免許を持っているため、いずれ農家レストランを開くのが夢です。営業や製造などを全部任せられる人間を育て、いまの仕事を引き継いで余裕ができたら、ゆっくりやろうと思っています。 うちの嫁はお店で働くことやお菓子を作ったりするのが好きですし、嫁の妹はパティシエなので、嫁姉妹が長けている部分を活かしていけたらと思います。うちは小学校2年生を筆頭に男の子が3人、ぜひ手伝ってもらって、ゆずをもっと好きになってもらいたいですね。
皮むき、果汁搾り、スライス、粉末化、冷凍、真空などの加工が可能な品質管理の徹底した自社工場を完備している。従業員はパートも含めて13人。収穫時期には20人ほどプラスされる
鋭いトゲがあるゆずの木。切り落とした枝が地面に落ちているので、釘の踏み抜き防止用に作られた安全靴を履き、帽子やヘルメット、手袋で身を守り、収穫する